夏の終わり、抜けるような青空が広がっていた
サーフパンツとビーチサンダルを履き、休日早朝のまばらな東海道線に飛び乗った
海にいくようなスタイルだというのに、西の『熱海行き』ではなく、喧騒ビルの待つ『東京方面』へ向かうのは、なんだか妙な気持ち
地下鉄の都営新宿線が地上に出た先にある「東大島駅」に降り立つ
そこはもう「江東区」だった
そびえ建つ四角いマンションの間を歩き進むと川沿いの土手がみえてくる
そうして旧中川河原横の大島小松川公園でガイドの福田氏と合流し
東京水路をカヤックで巡るツアーがスタートした
持参したマグネットボードを渡しておき、筆談でガイドしてもらう
いつもは”電車の鉄橋” から、”歩道上の橋” から、”首都高速の車窓”から・・・
見下ろす川が、今日ばかりは ”見上げる” 側にまわるのだ
SB部隊 S03隊員C
SB部隊 S01隊員M 奥にはスカイツリーが鎮座する
扇橋閘門(こうもん)
『閘門[こうもん](ロックゲート)』とは?(ウィキペディアより)
水位の異なる河川や運河、水路の間で船を上下させるための装置である。閘門の特徴は、固定された閘室(前後を仕切った空間)内の水位を変えられること
要は『水のエレベーター』が、扇橋閘門内にある
ゲートがクローズして、しばらくすると水位があがってくるのだ
水位が下がっている時(この時点でマイナス1m)
あれよ、あれよという間に水位はプラス1mに上昇、水位差は2m!
波の上下で数メートルあがるような経験とはまた違って 『水のジュウタン』 で持ち上げられているような感覚!
” タハッ!オモチロイ ”
閉じられたゲートの中はまるでアトラクションのようで、小さな乗り物・カヤックならではのリアルな体感であった
注意:扇橋閘門は2017年10月から2019年3月末まで工事で閉鎖、同様の設備が荒川ロックゲートにあります
漕ぎ進んでいくと歩道から白旗を振るオジサンがいた
最初、心優しい通行人が、マラソン選手を小旗で応援している感じかな、と思って、手をふりかえしてしまった
よーくみたら、警備員の格好をしていて、なんのことはない、彼らは水上の交通整理をしていて
向こうから船が来なければ、白旗をふって「通行OK!」の合図を送ってくれるのだった
けっこう工事は行われていて、水上交通警備員を雇っていたのは彼らだった
いわゆる船版パトカーみたいなものか 近くをすれ違うとき、なぜか緊張しちゃうのだ
筆談でわかりやすくガイドしてくれる福田氏
地図をみると川の水色のラインは、ほぼ高速に隠れて見えにくい
千代田区にある合同庁舎より撮影 この首都高速都心環状線の真下が新日本橋川だ
江戸城の石垣が残っている
刻印石 各戦国武将の結晶?とも言われているが、ネパールのマニ石を思い出したよ
この辺りからは神田川になる
ウチは最後尾にいて、ちょっと灯りを消してみた
暗さを体験してみたかったからだ
本当の暗闇…夜でも明るすぎる東京のど真ん中にあるのに、どれが天井なのかも見えないほど
ふと想像してみた もし東京に何かがあって地下暮らしを余儀なくされたら…
まるでモグラのように穴の中にジッとしているのはとても息苦しくて耐えられないと思った
だから出口の白い点がみえたとき、本当に太陽の光や大地の解放を痛感してホッと息をついた
この分水路は1,600年代に江戸城の災害防止と軍事上の目的から作られたらしい
川をたどっていくと東京中心の運河がよく考えられていることがわかり、特に江戸時代の人はインターネットもないのにすごいなあと感心してしまう どんな人が江戸を俯瞰して、想像して設計したんだろう
東京メトロ丸ノ内線が地上に飛び出す区間
明日もお元気で!
屋形船が係留中 この辺の下水道はどうなっているのだろうか 気になっちゃうじゃないか
案外、鳥もあちこち うちらは逆に彼らに見られていた
近代的なビルが立ち並ぶ中で迷路のように流れる運河
海に近いことからクラゲも生息し、魚も泳いでいた
見覚えのある電車が頭上を通過して、いつもの生活が息づいていた
他のツアーともすれ違ったけれど、外人も多かった
確かに外人に日本のことをみてくれるのは嬉しいけれど
うちらが学校の教室で教科書を見ながら歴史を学ぶより
カヤックで東京水路をめぐった方が、地理、歴史、理科、そして体育も(笑)
特に日本に住む中学生こそ、自分たちの国の首都を漕いで体感してほしいな、と思ったのだった