コルカタからプロペラ機で向かった先はVARANASI
インドといえば ”ガンジス河”
中学の世界史教科書に載っていたガンジス河の写真が珍しくて、授業のたびによくそのページをめくっていた
どんな写真だったかというと、ガートと呼ばれる川に向かう階段があって、そこに老若男女がぎっしり並んでいて、半裸になりながら体を洗っているシーン 彫りの深い顔に鋭い目つきをした男性とサリー姿のまま川に入って水浴びをしている女性たち。その頃は昭和後期、日本は急激に核家族化して、バランス釜だったけど一人で風呂に入る毎日だった、本当にそこから全く違う、遠い世界が不思議でたまらなかったんだ
藤原新也「印度放浪」なども読んで、特にバラナシには強烈に興味があったのだけど
今まで、この場所を避けてきた気がする
”行ってはいけない場所”
なんだか怖かったのだ
今まで築いた人生観とか簡単に崩壊する気がしたし、なんだか悟ったような、わかったような自分になってしまいそうな気がしていた
でも時間は流れていき、とうとう「ヨバレテ」しまった
自分で『禁断』と決めつけた世界へこうして突入することになった
路地裏を激しく曲がっていき、牛や路上生活者を避け、寒いはずなのに汗だくになりながらようやく宿に辿り着く
部屋に案内され、奥のドアを開けた先には想像だにしない世界が広がり呼吸がとまるぐらいに硬直した
バックパックを背負ったままだったことに気づき、部屋の片隅にそのホコリまみれのバックパックとダウンジャケットを放り出し、もう一度、ドアの外へ向かった
あてがわれた部屋にはガンジス河を見下ろすバルコニーがついていたのだ
対岸があまりみえない
コチラ側が喧騒と混沌が路地裏に散りばめられているというのに、あちら側は潔く一直線だった
大きく呼吸をするとムセた
今まで嗅いだことのない何かが鼻を突いた
これが ”ヒト” のニオイだと気づくのに時間はかからなかった
なぜなら燃えているのが建物の間から見えていたからだ
川からの風が肌をなでていく
煙の中の灰がこちらまできているのだろうか
ついさっきまでモメたリクシャのオヤジや付きまとう子どもや物乞い、野良牛たちの目まぐるしい世界がウソのようだった
けれど静かなる闇に、炎が空を照らし、煙を吸い込み、風が色々なものを運んできたが、そんな中でも見事にお腹が減り、喉が乾く自分に、ほっとした
『生きている!』
そう強く感じる瞬間だった
そして2014年最後の夜をむかえようとしていた