静寂の朝
他のトレッカーはまだ眠っていた中、音を立てないよう、出発の準備すると何者かが部屋にやってきてぞっとした
みればケイン・コスギにそっくりの欧米チームのガイドだった
「このライトが壁の隙間から漏れてまぶしくて、寝れない」
身ぶりで詫びを伝える
杉板の間は確かにスキマがあり音も光も気をつけなければ筒抜けだ
シェルパのリンジが「あの鳥は私達のガイドだ(笑)」
光を受けて輝く湖に小躍りする鶏
ネパールのすごいところはこれに尽きると思う
富士山より高い標高を忘れそうになるぐらい、生活臭がある
4000mや5000mの土地で普通に子供が遊んでいるしピザとかパスタとかが出る
日本も最近は北アルプスの人気のある小屋で生ビールも焼きたてパンも出るようになったけど
鶏が歩きまわってるところはちょっと見たことない
それでも、ずっと歩いてきてこんな山の上にキレイな水が湧いているという事実は自分の奥底で喜びが湧き上がってくる
ヒンズー教徒はこの聖地に向かってロクな装備もなく歩いてきて沐浴し、過去の全てを脱ぎ捨てるらしい
この景観をどう受け止めたらいいのか
突如、カトマンズにある火葬場パシュパティナートを思い出した
あそこは現世を全うしたヒンズー教の死者を火葬し目の前のバグマティ川に流す儀式があるが
その下流に待ち構える人がいて装飾品や服を持っていってしまう
合理的なシステムだなとも思ったのだが、ここにはただビシュヌ神が眠ってる
頭上に心地良い太陽があたりやわらかい風が吹く
空と雪と湖をたたえる大地で体いっぱいに吸い込む
そうして、この聖なる水を手にすくいとって、ゆっくりと飲み込み、ウチはネパールを味わったのだった